「充実した時間、幸せな時間とは何か。」
これは将来ゲームを製作する私にとって一つのテーマである。
これまでは”充実した時間=得るものが少しでも多い時間”
だと考えていた。その時間を過ごした後、振り返ってみて
「ああ私はこの時間でこれだけ多くのモノを手に入れる事が
できた。」
そういう感想を持てる時間こそ充実した時間なのだと信じていた。
そして、ゲームというものに考えを移す。
”ゲームから得るものは限りなく少ない”
これが現実だろう。
こう考えた場合、ゲームが充実した時間を与えるのは非常に
難しい。
# 最近ブームになっている脳トレなどはこの常識を打ち破った
#ゲームだ。”プレイヤーに何かしら得るものがあるゲーム”
#そういう意味で、充実した時間を提供した新しいゲームだ。
# しかし、私が言いたいのはこの部分ではない。
今日、発泡酒を飲みながら餃子をつつきながらブログを
読んでいた。
このとき
”私は非常に満たされた気持ちになっていた”
のだ。
多少気持ちが良い程度に酔っ払っている。気持ち良い。
しかし、今何かを脳の中に残そうとしてもアルコールに
阻まれてほぼ不可能だろう。
また、行動内容はブログの閲覧という多くの場合は得るものが
ほとんどない作業だ。つまり、得るものはおそらく何もない。
にも関わらず、私は非常に充実した気持ちになっていた。
(もちろん非常に優れた記事に出会ったときには多くのモノや
刺激を得られることは言うまでもない。)
さらに私は経過していく時間の流れを認識していた。
これは「ああ、もうこんなに時間が経ってしまった」という
後悔を生まない。せっかくの心地よい体験が”後悔”という
魔物によって消し去られることはないのだ。
さぁ、私はこの体験をどう認識するべきなのだろうか。